Kindleここが改善できそう

電子書籍の読書端末 Kindle Paperwhite 3G を使いはじめている。

Kindle Paperwhite 3G (第5世代)

Kindle Paperwhite 3G (第5世代)

まだ使いはじめてそんなに経っていないので、これから慣れる/馴染む部分もあるかもしれないのだけれども、いまのところ気づいた、今後改善してほしい点を書き留めてみたい。

表示領域のサイズを筐体サイズいっぱいまで拡大できてほしい

筐体サイズはほぼ文庫本サイズなのだけれど、黒縁のプラスチックが割と面積を占有するため、実際に本文を表示できる面積はぐっと小さくなってしまっている。「狭い」と感じる。
(縁の色が黒でなく本文の背景色と同じ色であれば、かつ、本文が表示領域いっぱいまでマージンなしで表示されていれば、そうは感じなかったかもしれない。)

本全体の中での現在位置を可視化できてほしい

数字で表示するだけでなく、グラフで表示するとわかりやすい。
グラフ中の位置をクリックするかグラフ中で現在位置を示す印をドラッグすることで移動できるとうれしい。
たとえば Kindle for Mac にはすでにそういう機能があるのだから、できないはずはないだろう。

辞書の文字サイズを本文の文字サイズと合わせて変更できてほしい

本文の文字サイズは2本指で拡げたり狭めたりすることで変えられる。
ところが、Kindle Paperwhite では本文の文字を大きくしても小さくしても辞書の文字サイズは変わらない。
文字を大きくするときはおそらく小さいと読みにくいから大きくするはずなのだから、辞書の文字も同じように大きくするのが妥当だろう。

テキスト入力中にも辞書が引けるようにできてほしい

Kindleで本を読み終えると、感想/批評を書くことを促される(無視することもできるが、せっかくなので書くことが多い)。
そのときに利用できるテキスト入力機能では、入力中に変換候補は出るが、残念ながら候補として表示されない漢字があったりもする。
また、変換候補は表示されても、その語の意味を表示する辞書との連携機能はないため、場合によってはどの変換候補を選ぶべきか、迷うことがある。
本文を読むときに辞書項目の表示ができるのだから、テキスト入力中だってできるはずだし、できてほしい。

Kindle Paperwhite 3Gを買ってみました。

ちょっとうれしい。

Kindle Paperwhite 3G (第5世代)

Kindle Paperwhite 3G (第5世代)

まず、夜道でも本が読める。電子本でしか出版されてない本もあるみたいだし、というのもあります。それで買いました。

どうしてKindle Fireを選ばなかったか。

とにかく軽いこと。それから画面が見やすいこと。それでPaperwhiteです。
あと、どれだけほんとに使うかは未知数ながら、無料3Gにも惹かれました。それで3G。

まあ、ほんとのところは、やっぱり広告と流行に乗せられて、というのもあります。(そんなに持ってる人を周りで見かけたわけでもないのにね。)

届いたとき

ちょっとわくわくしました。開けてみたときは、その小ささが意外でした。表面にきれいに表示されている画面を見て、ちょっと感動しました。

そのあとは

まあ普通、かな。ページをめくるのに少しもたつく。たくさんページをめくりたいと思うと、なんどもタッチすることになるので、ちょっと疲れる。本を読んでいるときにキーワードを長押しすることで辞書を引けるのはまずまず。ここで Wikipedia を引けるのもうれしい。けど、このWikipedia、さすがにPCで見るのとは見た目が違ってる。カラーでないのは当然だからしょうがないとして、リンクの箇所がわかりにくい。それに、せっかくの wikipedia なのに、記事を編集できないというのも残念。

LightWedge Paperback でライトをつけながら本を読むのと比べてみよう。

Lightwedge Paperback - Black

Lightwedge Paperback - Black

夜道で本が読みたい、と、それだけなら LightWedge Paperback があるんです。これは読書用ライトとしては非常に好いです。これとKindle Paperwhite を比べてみましょう。

電池が必要なのは同じ。
ページをめくるときにライトを動かしてあげなくてもタッチひとつでめくれるのはKindleのメリット。
パラパラと気安くページの移動ができないのはKindleのデメリット*1
読みながら辞書を引けるのはKindleのメリット。
紙の本でしか出版されてない本がまだまだ多いのはKindleのデメリット。
どんなにページ数の多い本でも同じ重さに耐えればいいのはKindleのメリット。
読んでいないときに読みかけの本の表紙が出ない(すくなくともパスワードを設定した場合、しばらく放置すると画面がロックされる)のはKindleのデメリット。

結論

とりあえず、引き分け?
夜道での読書には、不足はまあなさそう。
しばらく使ってみると、もっと意見がわいてくるかも。

*1:せめて目次と本文の相互参照はいつでもできるようになっててほしいな。

十二夜 福田恆存 譯 新潮社シェークスピア全集 補

今年最初に読み終えた本。

小学生の頃、国語の教科書に福田恆存の訳した「リア王」の一節が載っていてひどく感激して親にシェークスピアが読みたいと言ったところ、新潮社のシェークスピア全集を買ってもらえた。書店になく、一部欠本があるものだったが、大部分は揃っていた。ところが本文が教科書とは異なり旧字体歴史的仮名遣いだったもので、「リア王」と「ヴェニスの商人」あたりを読んだだけで読破に至らず挫折してしまった。以来、母からはことあるごとにいつになったら読破するのかと尋ねられる始末。

「恋に落ちたシェークスピア」という映画のDVDを観たとき、劇中で、このつづきは「十二夜」でというような触れ込みがあったことから、「十二夜」の内容は少し気になっていた。実家にはいまもその全集が置いてあるので、今回正月で帰省したのを機会に、手に取ってみることにした。

十二夜」は、思いのほか短い戯曲だった。ハッピーエンドとなるという意味で、これは喜劇。女性が男装するというところが「恋に落ちたシェークスピア」のシチュエーションと通じる。恋心を抱く相手には相手にされず、思わぬ相手から求愛されるという状況が3重に組み合わされ、さらに人物の取り違えが重なり、しかも男装の麗人があしらわれている。双子でそっくりなために取り違えが起こるというのは「間違いの喜劇」にも、男装の麗人は「ヴェニスの商人」にも登場する。シェークスピアは双子の取り違えや男装の麗人が好きだったのだろうか。それとも当時の観客の趣味に合わせたのだろうか。ときにぎょっとするような台詞があったりもしたが、プロットは、いくつかの筋がたくみに寄り合わされて調子良く進み、結末で上手に丸く収まる。

旧字体・旧仮名遣いなのでその意味では読みにくいが、文体はよどみなく流れるようで、リズムと音色にもひっかかりがない。踊るように読める。その意味では非常に読みやすい。シェークスピアの翻訳は多数あるが、福田訳はどの訳にも劣らず見事なものだ。

ひらがな にっぽんこくけんぽう 《だいきゅうじゅうななじょう》

このくにいちばんのこのきまりがにっぽんのわたしたちにうけあう、ひととしてしてよいことは、ながいながいとしつきをかけてむかしからのひとびとがくびきをほどこうとしてやっとのことでてにしたもの、これらのしてよいことは、これまでいくつものきびしいときをくぐりぬけて、やっといまそしてこれからのわたしたちにとどいたもの、これらのしてよいことは、だれにもうばわれないでいつまでもつづくのだよと、むかしからのひとびとがしんじてわたしてくれたものです。

第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

ひらがな にっぽんこくけんぽう 《はじめに》

  にっぽんのわたしたちは、まじめにかたよりなくえらばれたくにぜんたいのあつまりに、みんなのきもちになりかわってはなしあうひとたちをおくることにしました。そのひとたちのはなしあいによってなにをどうするかをきめることにしました。わたしたちとわたしたちのこどもたちやまごたちのために、ほかのくにのひとたちとなかよくてをとりあってなしとげられたことと、このくにのすべてにわたってのびのびとくらすことのできるめぐみをてばなさないようにしようと、くにのきめたことによってむごいあらそいがまたおこることのないようにしようと、かたくこころにきめました。そうしてここに、わたしたちのくらしかたをきめるのはわたしたちであることをたしかめながら、このくにいちばんのきまりをこのとおりにきめます。


  そもそもくにのとりきめは、わたしたちがふかくかんがえてしんじまかせたものです。そのおおもとはわたしたちがわたしたちをたいせつにおもうきもちによるものです。そのちからはわたしたちのえらんだひとたちがこれをおこないます。そうしてえられるめぐみはわたしたちがこれをうけます。こういうことは、いつのよにもどんなひとにもなりたつことがらです。このくにいちばんのきまりは、こういうことのうえにきめられたものです。わたしたちは、これにあわないなら、このくにいちばんのきまりもおきてもいいつけも、ひとつもゆるしません。





  にっぽんのわたしたちは、いつまでもつづくあらそいのないときをねがいます。ひととひととのあいだのかかわりをつむぐりっぱなねがいをふかくかんじます。いろいろなくにのひとたちは、あらそいのないときをだきしめようとしていて、かたよりのないこころでしんじあうきもちをもっています。それをしんじて、あぶないめにあわないでいきていこうとわたしたちはこころにきめました。


  わたしたちは、よのなかのくにぐにが、あらそいのないときがながつづきするよう、いばったりへつらったり、いじめたりさげすんだりすることをどこからもいつまでもなくそうとがんばっているなかで、ほこりにおもえるわたしたちでいたいのです。


  わたしたちはうなづきます。すべてのくにのひとたちが、みんな、こわいことやひもじいことがないように、あらそいのないままにくらしてよいはずだと。





  わたしたちはこころからおもいます。どのくにも、そのくにのことだけをおもってほかのくにはどうなってもいいなんてかんがえてはいけません。とりきめやおもいやりのこころは、いつどこにでもつうじるもので、そのこころにそっていきることは、そのくにのひとたちがじぶんたちのくらしかたをきめていこうとして、ほかのくにとかたをならべたいとおもうかぎり、それぞれのくにがまもらなくてはいけないつとめです。





  にっぽんのわたしたちは、わたしたちのくにのほこりにかけておもいます。このりっぱなねがいとめざすところにちからのかぎりたどりつこうというきもちをぜったいにわすれません。

日本国憲法 前文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

恋の感覚

 図星を指されたように、どきりとする。そうだ。このひとだ、と。
 まるで白い花びらがゆっくりとひらくように、それは始まる。
 胸の奥に、ランプが灯る。小さな炎は揺れながら、野火のようにひろがる。



 あのひとへ、あのひとへ、あのひとへ。
 思いは、磁石にまとわりつく砂鉄。こすった下敷きに吸い付く紙吹雪。
 泣きながら使うハンカチのように、ぬぐってもぬぐっても、心は濡れやまない。



 ざわめく思いは果てしなく。答えのない疑問がこやみなく襲いかかる。
 伏せた睫毛のその下の瞳を。なぜこんなにも見つめたいのか。
 髪にかくれたその頬に。なぜこうまでも指を伸ばしたいのか。
 世界が感情にはためく。遠吠えをしたくなるような、自分の獣性におののく。



 日一日と。魂にそのひとが彫りこまれる。
 十年経っても、百年経っても忘れようのない、彫り跡。
 深々と食い込む、気の遠くなるような思慕の感覚。



 これを、恋という。

珈琲の味

 珈琲の匂いをかぐと、ちょっと背伸びをするような、
 新調したネクタイを初めて締めるような、
 かすかな期待と緊張が走ります。



 口をつけて飲むと、珈琲の甘さと苦みと酸味が
 頬の裏を満たして喉の奥に消えて。



 その味をさて、何にたとえましょう。
 春の午後にソファーに体をゆだねるような感覚。
 冬の朝に二度寝を楽しむような安逸。
 気持ちに、ネクタイをほどいたようなゆとりが生まれます。



 珈琲カップを置くときは、少し珈琲と親しくなったような気持ちになります。
 「ありがとう」と声をかけたいような気持ちです。