十二夜 福田恆存 譯 新潮社シェークスピア全集 補
今年最初に読み終えた本。
小学生の頃、国語の教科書に福田恆存の訳した「リア王」の一節が載っていてひどく感激して親にシェークスピアが読みたいと言ったところ、新潮社のシェークスピア全集を買ってもらえた。書店になく、一部欠本があるものだったが、大部分は揃っていた。ところが本文が教科書とは異なり旧字体で歴史的仮名遣いだったもので、「リア王」と「ヴェニスの商人」あたりを読んだだけで読破に至らず挫折してしまった。以来、母からはことあるごとにいつになったら読破するのかと尋ねられる始末。
「恋に落ちたシェークスピア」という映画のDVDを観たとき、劇中で、このつづきは「十二夜」でというような触れ込みがあったことから、「十二夜」の内容は少し気になっていた。実家にはいまもその全集が置いてあるので、今回正月で帰省したのを機会に、手に取ってみることにした。
「十二夜」は、思いのほか短い戯曲だった。ハッピーエンドとなるという意味で、これは喜劇。女性が男装するというところが「恋に落ちたシェークスピア」のシチュエーションと通じる。恋心を抱く相手には相手にされず、思わぬ相手から求愛されるという状況が3重に組み合わされ、さらに人物の取り違えが重なり、しかも男装の麗人があしらわれている。双子でそっくりなために取り違えが起こるというのは「間違いの喜劇」にも、男装の麗人は「ヴェニスの商人」にも登場する。シェークスピアは双子の取り違えや男装の麗人が好きだったのだろうか。それとも当時の観客の趣味に合わせたのだろうか。ときにぎょっとするような台詞があったりもしたが、プロットは、いくつかの筋がたくみに寄り合わされて調子良く進み、結末で上手に丸く収まる。
旧字体・旧仮名遣いなのでその意味では読みにくいが、文体はよどみなく流れるようで、リズムと音色にもひっかかりがない。踊るように読める。その意味では非常に読みやすい。シェークスピアの翻訳は多数あるが、福田訳はどの訳にも劣らず見事なものだ。