非繁殖的知能の生存確率低下は防げるのか?

 ピンカー「人間の本性を考える(上)」では、社会生物学の考え方によれば、社会が民主的になって世襲制や各種差別がなくなってくると、相対的に優秀な能力を示す遺伝的な特性を持つ人たちが優遇され、そうした人たちのもつ遺伝子が競争上有利になってくるだろうと言っている。
 そうかもしれない。しかし、そうした能力を示す人たちが性淘汰にも有利かというと、かならずしもそうではないようにも思える。
 英雄色を好むという諺があるが、遺伝的に有利な特性を示す人たちの遺伝的特性は、必ずしも性淘汰についても有利な特性であるとは限らないだろう。たとえば知的に優れた人たちの中には、性的な関心の薄い人や性的魅力に乏しい人や繁殖による人類の増えすぎを憂慮する人たちもいそうだ。
 では、そうした繁殖に結びつかない知能は、自然選択とくに性淘汰によって消えてしまうのだろうか。
 それとも繁殖に向けた社会的圧力(性的価値観の多様化や精子バンク・卵子バンクといった人工的な繁殖ビジネスの誘い)が発生するのだろうか。
 あるいは、遺伝的特性ではなく非遺伝的な継承方法(文化)による業績(ミーム?)が継承されることで後代に寄与することになるのだろうか。