電車のなかで読書がはかどるのはなぜだろう?

 私は電車のなかでよく本を読みます。というか、読んでないことのほうが少ないな。けっこうはかどるような気がするんですが、不思議です。どうして電車のなかでは読書がはかどるんだろう?

 他にすることがないとか、他にできることが少ないということもあるのかも。といっても、見渡すと、本を読んでる人より携帯やゲーム機に集中している人のほうが多いような気がしますね。私の場合は携帯にのめり込んだりゲームに入り込んだりはほとんどしません。いや、全然か。

 きのう、その疑問についてふと思ったことがあります。音です。電車のなかというのは、ふだんはあまり気にしませんが、実は意外に大きな騒音の渦中にいる状態が続きます。車内放送のことを言ってるわけではなくて、むしろもっと地味な騒音です。ドアの開閉のときのプシューという圧縮空気の破裂音とか、走り出したときのモーターの、ぎゅんぎゅん高まっていく回転音。線路の隙間を車輪がまたぐときのガタンゴトンというリズミカルな音。それにつれて小刻みにゆさぶられる振動。からだに伝わってくる響き。そういうものが、実は集中力を高めたり、気分を昂揚させたりする効果があるんじゃないかなと思ったんですね。駅を発車してしだいに高鳴るモーターの音があれば、次の駅に近づくときには当然モーター音も低くなるわけで、それなら気分が昂揚するだけではなくて低迷したりもしそうですが、おそらく、低迷するのではなくて、むしろちょうどいい休憩、息抜きの勧めになっているのかも、なんて思うわけです。

 実際にそれで電車でそもそも読書が進むのか(気のせいじゃないのか)とか、進むにしてもどのくらいの割合が音のせいなのかを測ってみたわけではないので、たしかなことは言えませんが、そんな気がしませんか?
 実際の効果を確かめたかったら、電車の中の音を録音して、電車に乗らないでそれを聞きながら読んだ場合と実際に電車に乗って読んだ場合で、読書スピードや記憶の残りやすさなんかを比べてみるとよさそうですね。

 誰かがどこかでそういう実験をしてくれていたりしないのかな?