子供が親に尋ねる質問トップ3

 スラッシュドットの記事に、BBCニュースの記事によれば、子供が親に尋ねる質問トップ3は「赤ちゃんはどこからくるの?」「虹は何からできてるの?」「なぜ空は青いの?」だそうだと書かれていた。おもしろいので自分なりの回答を考えてみる。

赤ちゃんはどこからくるの?

 どこからもきません。うまれるまえにはあかちゃんはどこにもいません。ふしぎですか? ふしぎですね。でもそうなのです。
 それなら、あかちゃんはどうやってうまれてくるのでしょうか。おとなも、こどもも、あかちゃんも、みんなほんとうはめにみえないくらいちいさい「つみき」がつみかさなってできていることはしっていますか? この「つみき」を「さいぼう」といいます。あかちゃんも、こどもも、おとなも、みんなすごくたくさんの「さいぼう」があつまってできています。かみのけや、つめや、めや、はや、かわや、からだのなかのにくも、ないぞうも、みんな「さいぼう」からできています。あかちゃんも、やっぱりこんなにたくさんの「さいぼう」でできているのです。でも、はじめからこんなにたくさんの「さいぼう」ではありませんでした。あかちゃんは、はじめは、たったひとつの「さいぼう」だったのです。そのたったひとつの「さいぼう」がどんどんふえて、おおきくなって、あかちゃんになるのです。
 ではそのはじめのひとつの「さいぼう」は、どこからできるのでしょうか。この「さいぼう」は、おとうさんとおかあさんがつくるのです。
 なにもないところからつくるのではありません。もとになる「たね」をおとうさんが、「たね」をそだてるための「つち」をおかあさんがもちよるのです。おとうさんのおまたにあるおちんちんは、おしっこがでるだけではありません。そこからは、「せいし」というとくべつな「さいぼう」がでてくることがあります。この「せいし」があかちゃんの「たね」です。めにみえないくらいちいさなおたまじゃくしのようなかたちをしています。おかあさんのおまたには、うんちのでるあなとおしっこのでるあなのほかに、もうひとつあながあります。これがあかちゃんの「たね」をうえるあなです。あかちゃんの「たね」は、うじゃうじゃとたくさんおかあさんのからだのなかをおよいでいきます。そのなかのたったひとつの「たね」が、おかあさんのおなかのなかからでてくる「らん」というとくべつな「さいぼう」と、くっつきます。これは、めにみえるかみえないかくらいのちいさなたまごの「もと」です。おとうさんからの「たね」は、このおかあさんからのたまごの「もと」にくっつくと、「じゅせいらん」という、ほんもののあかちゃんのたまごになります。これがほんとうのあかちゃんの「たね」です。この「たね」が、くっついたままどんどんこまかくわかれていって、ゆっくりとかたちをかえて、だんだんおおきくなって、あかちゃんになってくるのです。
 こんなふうにおとうさんだけでも、おかあさんだけでも、あかちゃんはうまれてきません。でも、あかちゃんは、おかあさんのおなかのなかでおおきくなってからうまれてくるので、おかあさんのやくわりがとてもだいじです。おかあさんは、あかちゃんがうまれてくるまでじぶんのおなかのなかでおおきくなるあかちゃんといっしょにくらすことになります。だから、あかちゃんのことを、しんけんにかんがえます。どんなあかちゃんがうまれてくるのかは、わかりません。わかることは、あかちゃんはきっと、おかあさんにも、おとうさんにも、どこかにているということです。だからおかあさんも、おとうさんも、だれといっしょにあかちゃんをつくろうか、いつつくろうか、しんけんにかんがえます。おとうさんとおかあさんが、おたがいに、このひととならいっしょにあかちゃんをつくろう、いっしょにあかちゃんをそだてたい、とおもえないと、あかちゃんがうまれても、うまくそだてられないかもしれないからです。だから、ひとりがこのひととあかちゃんをつくりたいとおもっても、そのあいてが「いや」だったら、むりじいはできません。(むりじいは、「ごうとう」や「どろぼう」とおなじような「はんざい」です。おまわりさんにつかまって、「ろうや」にいれられることになっています。)
 おかあさんのおなかのなかには、あかちゃんがそだつための「うえきばち」があります。あかちゃんの「たね」は、そこでおおきくなります。このうえきばちは「しきゅう」といいます。あかちゃんの「たね」がそこにたどりつくと、「たいばん」というあかちゃんのたまごをそだてるための「つち」がそのまわりにつもってきます。この「たいばん」は、ほんもののつちではなくて、あかい「ち」がかよっています。おかあさんの「ち」と、あかちゃんの「ち」は、じかにはまざらないようになっています。それでも、おかあさんの「ち」から、「ようぶん」がそこをとおってあかちゃんにとどくのです。
 おかあさんのおなかのなかで、あかちゃんは、おへそから、ほそいひもをつうじて、おかあさんとつながっています。このひもは「へそのお」といいます。おおきくそだって、いよいようまれるときには、この「へそのお」をつけたまま、おかあさんのおまたのあいだから、でてきます。このとき、おかあさんはとてもいたいので、しっかりがんばらないとうまれてこれません。それでもたいへんなときは、おいしゃさんがおかあさんのおまたやおなかをきって、あかちゃんをとりだしてから、またぬいあわせることもあります。ぬれて、ぶよぶよのあかちゃんは、おおきなこえでなきます。このときはじめて、あかちゃんはいきをしはじめます。「へそのお」は、はさみでちょんぎります。どうぶつのおかあさんなら、はで、かみちぎります。この「へそのお」はきねんにもらえるので、おかあさんはだいじにしまっておいてくれているかもしれません。あなたは、うまれたときにつけていた「へそのお」をみせてもらったことがありますか?

「虹は何からできてるの?」

 たいようのひかりと、そらにうかんでいる、あめのみずたまです。うそだとおもいますか? それならためしてみましょう。よくはれた、おてんきのいいひに、たいようにせなかをむけて、きりふきでちいさなみずのしずくをふりまいてみてください。ちいさなにじがみえるはずです。もしも、それがむずかしかったら、ガラスのコップに、みずをいれて、たいようのひかりにあててみてください。ちょうどいいぐあいにひかりがあたると、にじいろのひかりがみえるでしょう。もっとくわしくしらべるには、さんかくのはしらのかたちをしたプリズムというどうぐをつかいます。プリズムに、しろいたいようのひかりをあてると、にじのようにいくつものいろにわかれることがわかります。このにじいろのひかりをもういちどあつめると、またもとのしろいひかりにもどすこともできます。
 こんなふうに、しろいひかりは、じつは、にじのそれぞれのいろのひかりのあつまりなのです。
 ところで、にじのおびのいろがいつもおなじじゅんばんにならんでいることにきがつきましたか?いちばんそとがわがあかいですね。(はっきりとしたにじのそとがわに、うっすらともうひとつのにじがみえることがあります。このときは、そとがわのうすいにじのほうは、はっきりしたにじとはいろのじゅんばんがはんたいになっています。)はっきりしたさかいめがあるわけではありませんが、あかからじゅんばんに、オレンジいろ、きいろ、みどりいろ、あお、むらさきいろのようにならんでいます。あおとむらさきいろのあいだに、あいいろがみえるかもしれません。いつもこのじゅんばんがおなじなのは、いろのしゅるいによって、そのいろのひかりのまがりかたのおおきさがきまっているからです。ガラスのコップやプリズムをよくみると、くうきとガラスのさかいめで、ひかりのすすむむきがかわって、いろがわかれていることがわかります。あかいひかりはまがりにくくて、あおやむらさきのひかりはまがりやすいのです。
 でも、にじは、きれいですね。むかしのひとは、あめのあとでにじがよくみえることにきづいていました。おおあめのあとで、にじがでているのをみつけると、かみさまが「もうこんなにひどいあめはふらさないからね」とやくそくしてくれているとおもうこともあったようです。にじがどうしてできるのかはわかっても、にじがでたあとにもうおおあめがふらないということまではわかりません。でも、きりすときょうの「せいしょ」には、だいこうずいのあとのにじが、かみさまからのやくそくだとかいてあります。そうおもわないと、こわくてしかたなかったのかもしれません。

「なぜ空は青いの?」

 「レイリーさんらん」のせいです。といってもそれだけではわかりませんね。19せいきの1871ねんに、ジョン・スチュアート・レイリーというイギリスのかがくしゃがはじめてせつめいするまで、なぜそらがあおいのかは、せいかくにはわかっていませんでした。それで、レイリーのなまえをつけて、ひかりの、このせいしつを「レイリーさんらん」といいます。
 それよりまえ、17せいきの1621ねんに、ヴィレブロルト・スネルというオランダのかがくしゃがひかりのまがりかたをしらべてほんをかきました。ひかりがくうきのなかからみずやガラスのなかにとびこんだり、そこからとびだしたりするとき、そのさかいめとひかりのすすむむきによって、ちょうどさかいめで、ひかりがおれまがることを「くっせつ」といいます。レイリーさんらんの「さんらん」というのは、たくさんの「くっせつ」で、ひかりがあちこちにおれまがってすすむので、ぜんたいとして、ちらばってしまうことです。
 レイリーは、ひかりのなみのやまとたににかくれてしまえるくらいちいさい「つぶ」がひかりを「くっせつ」させて「さんらん」するとき、その「つぶ」のおおきさと、ひかりのやまから(たにをとおって)つぎのやままでのあいだのながさ(ひかりの「はちょう」)のあいだにはきまったかんけいがあることをみつけました。さんらんされるひかりのつよさは、はちょうがながければながいほど、どんどんちいさくよわくなるのです。べつのいいかたをすると、「はちょう」がみじかいと、とてもつよく「さんらん」されます。「はちょう」がながいと、ほとんど「さんらん」されません。どのくらいかというと、さんらんされるひかりのつよさは、「はちょう」の4じょうに「はんぴれい」します。ぐたいてきにいえば、たとえば、ある「はちょう」のながさを1として、そのときの「さんらん」されるひかりのつよさが1だとします。そうすると、そのはんぶんの「はちょう」で「さんらん」されるひかりのつよさは、1/((1/2)×(1/2)×(1/2)×(1/2))、つまり、2×2×2×2、いいかえると、16ばいのつよさです。そのはんたいに、もとのながさの2ばいの「はちょう」で「さんらん」されるひかりのつよさは、1/16、いいかえると、0.0625ばいのつよさになります。あかいひかりの「はちょう」はだいたい620ナノメートルで、あおいひかりの「はちょう」はだいたい450ナノメートルです。ナノメートルはとてもみじかいながさですが、あかいひかりの「はちょう」は、あおいひかりの「はちょう」のだいたい62/45ばい、つまり1.38ばいなのです。そうすると、「レイリーさんらん」によれば、あかいひかりは、あおいひかりのだいたい3.6ばいも「さんらん」されにくいことになります。はれたひのくうきのなかには、さんらんのもとになる「つぶ」はほとんどくうきのガスの「つぶ」だけになります。このつぶは、たいようのひかりの(めにみえるひかりの)「はちょう」とくらべてずっとちいさいので、はれたひのくうきは「レイリーさんらん」のとおりにひかりを「さんらん」させます。つまり、あかいひかりは「さんらん」されずにたいようからまっすぐにとどきます。あおいひかりばかりがさんらんされて、たいようからでないところからもとどきます。だから、はれたひのそらはあおいのです。
 「レイリーさんらん」は「さんらん」のもとになる「つぶ」がひかりの「はちょう」とくらべてずっとちいさいときにしかじっさいのようすをあらわしません。そらにうかぶくもは、ひかりの「はちょう」よりも10ばいいじょうもおおきく、くうきのなかのちり(エアロゾル)もひかりの「はちょう」にくらべるとおおきいので、「レイリーさんらん」ではせつめいできません。くもがしろくみえるのは、くもをつくっているみずのつぶがひかりの「はちょう」よりもおおきいために、「レイリーさんらん」ではなく「ミーさんらん」にしたがうようになるからです。「ミーさんらん」は、グスタフ・アドルフ・フェオドール・ヴィルヘルム・ルートヴィッヒ・ミーというドイツのかがくしゃにちなんでなまえをつけられた「さんらん」のしかたです。ミーは20せいきの1908ねんにかいたほんのなかでこのさんらんをせつめいしました。