無の氷
事実、物理学者はときおり「無」を完全な対称的状態として記述することがある。*1
物理学者のなかには、物質が生じたのは、ちょうど無構造の水が凍って氷の結晶を生じたように、 「無」が凍って「もの」になった結果だと思っている人もいる。*2
冬の寒い朝、アスファルトの上に小さな水たまりが凍り付いて表面が薄い氷の膜に覆われていることがある。液体の水であるあいだは結晶化していなくてどちら向きにも整列しているわけではないので特定の向きというものがない。それが冷えて凍り付くと、水の分子は整然と並び、雪の結晶に代表される六角形の幾何学的な構造をとる。肉眼では六角形の模様が見えるわけでもなく、透き通った固体の氷を持ち上げてみても、それを通して少しぼやけ、少し歪んだ向こう側が透けて見えるだけだが、顕微鏡で除けばきっと雪のような結晶構造の一端を見ることができそうな、陽の光を反射してときおり輝く、冷たくて透明な板。
物理学者のいう無も、そんな冬の朝の氷のように冷え固まって現在のような対称性の破れた宇宙になったというのだな。無の氷。なかなか印象的なイメージを誘う言葉だ。うっかり落とすと小さく高い音を立てて割れてしまいそうな、この壊れやすい氷の板に閉じ込められた微小な泡沫のひとつひとつが銀河の群れであるかのように思われて。
*1:K.C.コール=著、大貫昌子=訳「真理の不変性」『数学の秘かな愉しみ 人間世界を数学で読む』p.253
*2:K.C.コール=著、大貫昌子=訳「真理の不変性」『数学の秘かな愉しみ 人間世界を数学で読む』p.253