文化と対称性の自発的破れ

 ピンカー「言語を生みだす本能(下)」*1

言語を生みだす本能(下) (NHKブックス)

言語を生みだす本能(下) (NHKブックス)

にあった文化の定義に目が止まった。

「文化」とは、ある特定の諸学習が共同体の成員から成員
へ伝播して、心が共通のパターンに整合されていく過程をいう。ある特定の「言語」や
「方言」が、共同体の成員が高度に類似した心的文法を獲得する過程を意味するのと同様である。

 ピンカーは、言語の文法には個々の言語の種類によらない生得的な文法があることから話し始める。チョムスキー生成文法と呼ばれるものだ。もちろん生成文法だけで現実の多種多様な言語が細部まで決定されるわけではない。語彙はさまざまだ。主語・述語・目的語の順に並べる英語のような言語や主語・目的語・述語の順に並べる日本語のような言語では文法要素の「正しい」順序は違う。そうしたパラメータの違いはある。
 しかし文を作るための基盤となるルールは本能的に機能するように脳内に組み込まれているという。それは石器時代さながらの生活を送る部族でも先進諸国でも言語の表現できる複雑さには大した差はないことからも推察される。一卵性双生児やそうでない場合の言語機能の機能不全の研究も生得的な言語操作の基盤機能があることを支持する。そうであればその本能的生得的な文法を機能させる心の仕組みは、やはり進化によって築き上げられてきたものであるはずだ。チンパンジーが手話を学べるという研究があったがよく調べれば疑わしいことがわかってきた。言語を人間のように駆使する動物は現在の地球上にはいないようである。とすれば、おそらくヒトがチンパンジーなどの他の動物との共通祖先から分化してから会得した機能なのだろう。数万世代の猶予があれば「言語器官」の獲得も不可能ではないだろう、と。
 もちろん言語を実現するのは遺伝だけというわけではない。遺伝は生物学的な基盤を用意する。ただし直接的な言語遺伝子や文法遺伝子があるというわけではない。おそらくは遺伝子がタンパク質を決定するなかで、あるタンパク質が酵素その他の質や量を左右し、それがまたどこか特定の遺伝子群の発現箇所を制御して器官を用意するというような複雑かつ微妙な影響の仕方で用意するのだろう。
 さらに遺伝だけではなく環境もそこに入力を提供する。その入力は成長の方向を決定づけるだろう。心はそうした入力に応答して行動する。環境には仲間や年長者も含まれる。そこでは技能や知識や価値観の交換が発生する。そうして心はさらに複雑な応答を可能にしていく。

 上に引用した言葉は、物理学用語としての「対称性の自発的破れ」による物質の「相転移」を連想させる。
 相転移の相というのは固体・液体・気体という物質の三態のどれかということである。固体なら固相、液体なら液相、気体なら気相という。
 対称性の自発的破れの対称性というのは三次元空間には特別な方向というのはないということだ。どちら向きも等しい可能性を持っている。固体になって結晶化するときの結晶格子の向きがどっちを向くかには特別な向きはないということだ。気体の場合にはその通りで、気体分子は向きも速さもそれぞれてんでばらばらに動き回る。ここで温度や圧力の状況が変わって気体が液体に、さらに固体になるとする。つまり分子はばらばらに動くことを制約されて結晶化することを強制されるわけだ。
 その場合、どちら向きに結晶化するべきかという必然性は本来どこにもない。だが、それにも関わらずいったん結晶化が始まってしまえばその向きは決定的となる。最初は偶然に始まった結晶の種の向きがその後の結晶の将来を決めてしまうことになる。周囲の分子がどちら向きに整列して結晶を成長できるかは、すでに始まってしまった結晶の向きに倣うしかない。それによって結晶の向きは固定化されてしまう。こういう状況のことを対称性の自発的破れという。

 対称性の自発的破れは素粒子論での力(相互作用)の統一理論や宇宙論でのインフレーション理論などで以前から注目されていた。それと同様の原理で言語や文化も説明できるかもしれないということが上のピンカーの言葉から想像できる。思いがけないところで共通の原理が働いているものだ。おもしろいじゃないか。

*1:p.266 "XIII 心の構図"