千手観音はアホなのか?
いま読んでいるアシモフ著「脳 生命の神秘をさぐる」(白揚社)に次のような一節がある。*1
このヒヒでさえも、まったく尻尾を持たない他の二つの科の猿に
は、知能に関して一目置かざるを得ない。それらの科の猿は、後肢が
ものをつかむよりも、からだをささえるほうに分化した。そして、もの
をつかむ装置が五つから四つに、四つから二つに減るにつれて、知能
は増さざるを得ないかのようである。
- 作者: I.アシモフ,桜井靖久
- 出版社/メーカー: 白揚社
- 発売日: 1972/09
- メディア: 単行本
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猿の仲間を見ると、ものをつかむ尻尾がなくなり、後ろ足ではものをつかめなくなり、二本の手だけがものをつかむ機能を持つようになるにつれて、知能が高まっているようだというわけだ。
これはものをつかむ部位があればそれを制御するのに脳の機能を必要とするため、同じ大きさの脳ならものをつかむ部位が少ない方が脳に余裕が生じると考えれば納得がいく。
ここで頭に浮かんだのが千手観音だ。十一面四十二臂像(顔が11面、腕が42本)が一般的という千手観音には頭もたくさん生えているわけだが、頭の数に体する腕の数の比率は42/11=3.8と、ふつうの人間の2/1=2.0に比べてかなり大きい。千手観音の比率は3.8と、両足でものをつかめるが尻尾ではつかめないヒヒの仲間(オナガザル科)の4/1=4.0よりちょっとマシな程度である。この伝でいくと、千手観音にはヒトよりも高い知能は期待できないのかもしれないな。
*1:同書96ページ。