光速不変

 「真空中の光の速さを超えることはできないって。そんな無茶なことを、理由もなしに受け入れろと?」
 アインシュタイン相対性理論についての最初に読んだ本は三石巌「子供のための相対性理論」だった。たぶん、小学校6年生の頃だ。たしか父が買ってくれたのだったと思う。
 この本、たしかにやさしい口調で書いてある。三平方(ピタゴラス)の定理くらいを知っていれば、わかりにくいこともないとも思った。この本の問題は、腑に落ちないことだった。
 それは、なぜ「光」の速さだけが特別扱いされるのか、と感じたからだ。
 なぜ光だけが「選ばれた」のか、と感じたからだと言ってもいい。
 時間を測るのも、長さを測るのも、無理やり光を使って測ろうとするのはなぜなのかと思った。そんな測り方をするからおかしな結果が得られてるだけじゃないのかと思ったりした。

 これは光とだけいわずにもう少し広く「真空中での電磁波の速さ」とか「真空中で電場と磁場の歪みの伝わる速さ」みたいに言ってくれてれば、まだしも納得しやすかったのではないかと思う。
 ついでに、電磁波の速さが速さに本来関係ないマクスウェルの方程式の組み合わせから導ける*1と書いておいてくれたらもっとよかったかもしれない。

 いいかえれば、光が特別というのは人間にとって都合のいい言い方であって、特別な性質があるのは真空(あるいは、時空)なのだ。特別なことがあるとしたら、それは真空が電場と磁場の変化を伝える速さがどの慣性系から見ても同じになるということなのだ。その変化が電磁波であり、人間の目に(色として)見える周波数範囲の電磁波を光と呼んでいるだけなのだ。そして、時空それ自体に特別な性質があるのなら、光を使おうと何を使おうと、速さを変えないために時間や長さのほうにしわ寄せがくるのは当然なのだ。

 相対性理論での光速不変というのは前提だ。数学での公理だと思ってみればいい。公理と同じではないけれど、実験的にも、とりあえずいまのところ受け入れておいてよさそうな物理学上の原理なのだから。
 そうすれば、特殊相対性理論なら数学的にはそんなに難しくはない。難しいのはその前提を受け入れることなのだ。

*1:真空中の電磁波の速度(位相速度)は、真空の誘電率と真空の透磁率の積の平方根に等しい。