天界の池袋

 ついこのあいだ、「聖☆おにいさん」というマンガの3巻めを読んだ。

聖☆おにいさん(3) (モーニング KC)

聖☆おにいさん(3) (モーニング KC)

 宗教パロディというのはパロディ元が神聖な扱いを受けて高く持ち上げられているがゆえに落とされると落差が激しくておもしろいのかもしれない。
 このマンガはイエス・キリスト釈尊仏陀が貧乏学生よろしく白いTシャツすがたでせまいアパートをルームシェアする生活を送っているという設定になっている。天界からは弟子や天使たちがときどき顔を出す。どちらかというと釈迦のほうがしっかり者で、能天気なイエスに釈迦がやや振り回される感じだ。

 しかし、実際の宗教では、世界宗教者会議など、各種宗教の代表者が集まって全地球的な問題について話し合ったりする場もなくはないようだが、すくなくとも教典や教義上は他の宗教を無視しあっているように思える。
 私は個人的には無宗教で、宗教に文化的な興味は持っているが、超自然的な存在を信じたり信仰したりはしていない。
 しかし信仰としてというよりもある種の文学ジャンルとしての「死後の世界」を考えると、各種宗教が併存することになれば、霊的存在となった死者は自分の宗教の教える天界と冥界以外にほかの宗教のものもあることに気づいてよりどりみどりの状況になりそうだ。客引きだってあるかもしれない。「ちょっとこっちで遊んでいきませんか〜」みたいな。
 キリスト教や仏教のようなメジャーな宗教は新参の死者たちを誘うために物量にものをいわせた大規模な誘致合戦を繰り広げて宣伝攻勢をしかけていたりするかもしれない。
 「ヒガシ西武にニシ東武」、というのはビックカメラの店内ソングだが、かたやキリスト教、こなた仏教の天上界が池袋の西武と東武の二大デパートのように屹立し、イスラム教の天上界はヤマダ電機のように聳えているのかもしれない。
 妄想がひろがる。