TIME/タイム

ネット上を検索すると、この映画には賛否あるようだが、個人的には感心した。

通貨が余命すなわち時間ということになっている近未来。誰もが生まれたときから左腕に埋め込まれている余命メーターは、25歳をすぎると機能しはじめる。だれもが25歳の外見のまま生活できるようになるかわりに、その余命を財布のかわりにつかって生活しなくてはならないようになる。働けば余命をもらい、消費には余命を払う。しかもその時間は腕を重ねることで、もらったり与えたりすることができる。裕福な者は使い切れないほどの余命を持ち、貧しい者はその日一日をなんとかしのぐだけの余命しか持てない。

富裕層がみな若い外観を維持し続けられるようになるのはわかりやすい。だが貧困層までが若い外観を維持できるという設定は疑問だ。むしろ貧困層は実際の年齢以上に老け込むようにしてあったほうが納得しやすかったのではないかと思う。

主人公のスラム育ちの青年は偶然みかけた自殺志願の富裕層の男を助け、その100年以上もの余命を譲られる。しかしその直後に間一髪で母親が余命切れで無くなる。復讐を誓った青年は富裕層の居住エリアに乗り込み、カジノでポーカーにより余命を増やし、知り合った富裕層のお嬢さんと知り合う。巻き込まれたお嬢さんは青年にのめりこみ、ふたりして父の経営する時間ローン会社に対して時間強盗を働き、スラムのみんなに分け与える。

主人公の行動が恋人同士での銀行強盗の域を超えないところは、ほとんど「俺たちに明日はない」のボニーとクライド。最後は「俺たちに明日はない」みたいに射ち殺されるのかとも思ったが、そうではなく、連邦準備銀行のような白亜の建物に向かって拳銃を構えて強盗に入ろうとするシーンで終わる。観客サービスなのかとも思うが、ストーリーがSF映画らしいスケール感に欠ける尻すぼみなものになってしまった感じはあった。

拳銃だけで何度も強盗が成功してしまったりというのはまじめに考えると絵空事でしかない。SF的設定ではあっても、いわゆるSF的なストーリーでもない。どちらかといえばおとぎ話というか寓話といったほうがよさそうな内容だ。それでも、あからさまに反体制的な風刺とも思える内容がハリウッド映画で実現されていることは意外で、おもしろく思った。SF映画というよりは、近未来コメディというところだろうか。