サラミスの戦い[B.C.480年09月28日]

 「世界を変えた歴史的な日 その時、歴史は動いた」という本を借りてきました。

世界を変えた歴史的な日―その時、歴史は動いた

世界を変えた歴史的な日―その時、歴史は動いた

 50個の日付で、50個の歴史的な事件が紹介されています。たぶん、日付まで特定できることに限ったせいでもっと大事だと思えることをあきらめたりもしたんじゃないかと思います。でもおもしろそうです。
 その最初のお話が、サラミスの戦い。サラミスの海戦という名前のほうが、もしかしたら通りがいいかもしれません。このアテネアテナイ)の海軍がペルシア艦隊を負かした戦いですが、これがこの本によると、記録に残る歴史(ヘロドトスの「歴史」ですね)に描かれた最初の大海戦なんだそうです。場所はサラミスサラミス海峡です。海峡といえば、日本では津軽海峡が有名ですが、海の入り江が狭くなって谷のようになっているところです。サラミスアテネピレウス港とその向こうのサラミス島との間の海峡です。アテネといえばパルテノン神殿で有名なギリシアの都市ですが、B.C.480年当時は、まだパルテノン神殿もできていません。ペルシアのほうが有名でした。ペルシアは当時、圧倒的な大帝国で、たいへんな勢いだったようです。アテネの370隻の艦隊に対して、ペルシアは1000隻だったということですから3倍近い軍勢です。でも、アテネはこれに勝ってしまった。大将だったテミストクレスの功績が大きかったということです。「寝返るから」とペルシアに言って油断させておいて、ペルシアの艦隊が狭いサラミス海峡に入ってきたところをアテネの艦隊がボコボコにしたとか。卑怯というか、ずるがしこいというか。これで、アテネのほうは40隻ほどを失っただけなのに、ペルシア側の船は1000隻のうち300隻が沈んだといいますから、戦力の差はギリシア330隻、ペルシア700隻にまで縮まったわけですね。3対1だったのが2対1にまでなった。これでペルシアの大将クセルクセス1世は引き返すことにしました。ギリシアは、まあ命拾いをしたということだったでしょう。翌年のB.C.479年にはこれまた有名なプラタイアイの戦いというのがあり、ここでもギリシアはペルシアに勝ちます。それにしたってペルシアの物量は圧倒的です。圧倒的といえば、映画「300」の題材になったテルモピュライの戦いは、このサラミスの戦いのひと月前の8月のことでした。そんなわけで、ギリシアとしてはペルシアと戦うとなれば、もっと戦力を増強したい。戦いに使う船を増やそう。金持ちは金を出せ。貧乏人は手を貸せ。船を漕げ。と、こうなってきて、貧富の格差は縮小。貧乏人は軍人として声が大きくなった。これがアテネの民主主義には追い風になったのでした。やがて調子づいたアテネギリシアでは最有力な都市のひとつとなり、他のギリシアの都市から反発されるようになります。そうしてもうひとつのギリシア最有力都市スパルタと戦うようになり、そのうちギリシアは隣のマケドニアに優位を奪われます。マケドニアアレクサンドロスギリシアの文化を東方に広めて、さらにローマ帝国がやがて現れてギリシアの文化を継ぐことになった、そのギリシアの勢いを作ったのがこのサラミスの戦いでの大勝利だった、といえるのかもしれません。