はい、チーズ〜光学迷彩はカメラに

 私自身はあまり人に写真を撮られるような機会はほとんどないが、写真を撮るときというと、「カメラを見て笑って」と要求されることが多い。だがそれはいささか不自然な話ではないか。カメラを構えた人は微笑ましい姿だろうか。そんなことはない。顔がカメラで隠れて、カメラを擬人化して考えようとしても、せいぜい大きなレンズが巨大な昆虫の複眼のように見えるくらいである。カメラを構えた人の姿は、どちらかといえば、いかつい。笑顔よりは緊張を招くのが当然なのではないか。それに対して笑顔を求められても、こわばった不自然な笑顔になってしまうのがオチだ。自然な笑顔が浮かぶとしたら、それはカメラを向いていてもカメラを実際には見ていないからだろう。つまり、こころの中に微笑ましいイメージを映し出し、顔をカメラに向けて目を開けながらカメラではなくこころの中のイメージを見て笑っているのだ。すくなくとも、自分が撮られるときを思い出すと、カメラを見ながら微笑ましい光景をイメージすることで笑顔を浮かべようと知らず知らずがんばってしまっていることが多い。
 そんなふうに、自然な笑顔が必要なのにそれが得られにくいという問題がある。
 ではその問題は、どうすれば解決できるだろう。経験的には、「はい笑って〜」と言っている当のカメラマン本人はほとんどの場合撮影される人よりもしっかり笑っているようだ。笑顔を見ることは笑顔になるための簡便な方法だ。だったらそのカメラマンの笑顔をそのまま見えるようにすればいいのだ。そうすれば自然な笑顔になりやすいだろう。
 カメラがあるのにカメラを透かしてカメラマンの笑顔を見せる。それにはカメラが透明になればいい。しかし、実際にカメラを透明にしてしまうと写真の原理からいって結像しなくなってしまう。カメラは暗箱に開いた穴からレンズを通して入った光がカメラ内部のスクリーンにそのまま写し出されるからこそ写るのだ。カメラの内部が暗箱でなくなってしまうとあちこちからはいってきた光で像は真っ白に近いぼんやりしたものになってしまうだろう。
 ということで、この問題の解決方法としては、光学迷彩が有効ではないかと思うのだ。
 光学迷彩というのは「彦一とんち話」に登場するいわゆる「天狗の隠れ蓑」、いうなれば「透明マント」である。それを羽織ると羽織った人の姿がまわりの人からは見えなくなるというものだ。注意を引かなくなるのではなく、あたかもその人がいなかった場合と同じ光景が実際に目に届くというものである。実際に、見分けがつかないほどとはいえないが、この光学迷彩といっていいものが研究レベルでは実現している。光学迷彩というのは効果についての概念なので、その実現方法にはいろいろなものがあっていいが、現在研究されているものは、本来見えるはずの画像をそれなりの素材をまとった人に投影することで光学迷彩を実現するという方法のようだ。
 光学迷彩でカメラを包み込んだとしてみよう。そうすると、カメラは「見えなく」なる。カメラを構えるポーズをするカメラマンが見えるだろう。そしてカメラマンは満面に笑みを浮かべて「はい、笑って〜」と声をかけてくるのだ。撮影される人の顔にも思わず笑顔が浮かぶのではないだろうか。