あたりまえの不思議

 あたりまえのことではあるが、朝出かけるとき目に入る景色は立体的に見える。あたりまえのことではあるが、歩きながら耳に入る音は立体的に聞こえる。そんなあたりまえの光景も、バーチャルリアリティで実現しようとすればどれほど大変かを考えながら意識してみると、ちっとも退屈ではない。むしろ、どこの遊園地にもひけをとらない驚異の連続である。

 静止しているものも、視界の中では一瞬も休むことはなく動き続けている。家やその他の建物は、垣根や塀の向こうに、木立をはさんで見え隠れする。幾層にも重なる景観。精妙に変化する景観。川の脇に生い茂る草も、その川の水の流れも、電線の間を飛び渡る小鳥も、それぞれの位置ごとに刻々と見え方を変えてゆく。自転車で行き交う人も、自動車も、歩く人も犬も。カラスも猫もムクドリタンポポも桜の木も、近づけば大きくなり、遠ざかれば小さくなる。遠景の木立やマンションのビル。そしてそのむこうには雲がただよう。すべてが動いている。生きている。整然と、しかも生き生きと。

 光の変化に音の変化がかぶる。目と耳だけではない。日差しは髪を灼き、風は頬をなでる。鞄は肩にのしかかる。足は道を踏みしめ、着ている服は体をこする。なまなましいにおいやかぐわしいにおいとすれちがう。時を忘れるが、それは時が流れているからだ。

 もちろんわかってはいる。いつもの景色のなかに、私がいる。ただそれだけのこと。どうということのないいつもの道。しかし世界は絶え間なく変化し、私はその絶え間ない流れに魅せられながらその中を歩く。これが驚異の現実世界というものか。そんなふうに感心する私は、異次元からの観光客のようだ。