ガブリエルさん「罪人なる我ら」って
キリスト教(カトリック?)には天使祝詞というお祈りの言葉を暗唱する宗派があるらしい。
ミッション系の学校に通っていたことのある妻は、それをいまでも暗記している。
めでたしせいちょうをみちびてるまりあ しゅーおんみとともにまします おんみはおんなのうちにてしゅくせられ ごたいないのーおんこーいえずすもーしゅくせられたもう てんしゅのおんはーせいまりあーつみびとなるわれらのためにー いまーもーりんじゅうのーときもーいのりーたまえーあーめん
Wikipediaの「アヴェ・マリア」によると、日本語文語訳は次のようになっている。
めでたし、聖寵(せいちょう)みちみてるマリア、 主(しゅ)御身(おんみ)と共にまします。 御身は女のうちにて祝(しゅく)せられ、 御胎内(ごたいない)の御子(おんこ)イエズスも祝せられたもう。 天主(てんしゅ)の御母(おんはは)聖マリア、 罪人(つみびと)なる我らの為に、 今も臨終(りんじゅう)の時も祈り給え。 アーメン
ところどころ伸ばさないと出てこないそうだ。うしろの方ほど伸ばす箇所が多いところに、小さかった妻が一生懸命覚えようとした名残りが窺われる。
「みちびてる」とか「おんはー」とか、多少耳コピで間違って暗記されている箇所はあるものの、ほぼ正確に暗記されている。
で、このお祈りが「天使祝詞」と呼ばれて聖マリアに受胎告知を告げたという聖ガブリエルという名前の大天使の言葉ということになっているらしいのだが、一点、疑問があると妻から申し出があった。
「罪人なる我ら」という言葉がなぜ大天使の口から出てくるのか?
言われてみればおかしい。天使なら、人間のことは、「我ら」ではなく「彼ら」だろう。
それとも天使たちもまた罪人なのか?
あるいは、記憶ちがいなのか?
もしかして天使祝詞というのは「天使による祝詞」という意味ではないのか?
深まる謎。
正解は……、つづく。(うそ。)
【後記】
最初の4行は新約聖書の「ルカ伝福音書」(「ルカによる福音書」)が出典。残りは後付けらしい。最初の2行は(ルカ1:28)。大天使ガブリエルがマリアに受胎告知をする挨拶の冒頭。
【天使祝詞】めでたし、聖寵みちみてるマリア、主御身と共にまします。 【文語訳聖書】御使(みつかひ)、處女(をとめ)の許(もと)にきたりて言(い)ふ 『めでたし、惠(めぐ)まるる者(もの)よ、主(しゆ)汝(なんぢ)と偕(とも)に 在(い)ませり』続く2行は(ルカ1:42)。エリザベツ(Elizabeth)からマリアへの挨拶の冒頭。
【天使祝詞】御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられたもう。 【文語訳聖書】聲(こえ)高(たか)らかに呼(よば)はりて言(い)ふ 『をんなの中(うち)にて汝(なんぢ)は祝福(しくふく)せられ、その 胎(たい)の實(み)もまた祝福(しくふく)せられたり。』残りの後半は中世にフランシスコ会の修道士が付けくわえたらしいということだ。
天主の御母聖マリア、罪人なる我らの為に、 今も臨終の時も祈り給え。日本のカトリックの文語訳では天使祝詞ともいうものの、実際に大天使ガブリエルの言葉なのは最初の「めでたし」から「主、御身とともにまします」までなわけだ。