浦島太郎

 このまえの日曜日(2月15日)の夜、入浴中の雑談で、ストーリーとプロットの違いの話になった。ストーリーは時系列に出来事をならべたものであり、プロットは効果を狙ってそれらの出来事を並べ替えた筋書きのことだとか。で、その実例として浦島太郎を例にとってみたらどうなる? ということで二人してプロットをひねりだした。(一部に吉本新喜劇のギャグを使わせてもらった。)下がそれだ。

楽音と喧噪。宴はたけなわ。若者は酔っていた。少し足元がふらついている。
酔っぱらいながら、自分がなぜこんなところにこんな状態でいるのか思い出そうとした。
少年の日の若者。
少年は泣いていた。隣の源さんが行方不明になってひと月が経ち、遺体は行方不明のまま葬儀が行われた。
源さんの真新しい墓標。
源さんのような海の男を夢見て、少年はたくましい漁師に育った。
ある日、浜辺で不良少年たちに囲まれている亀甲模様の衣装の娘を見かける。
「助けてください!」
美人である。
若者は娘を見て鼻の下を伸ばした。
娘を追って取り囲んだ少年たちはがなりたてながら近づいてくる。
「おうおう、なんだお前は!」
躊躇する若者。すがる目で見つめる娘。意を決して少年たちをにらむ。
「助けてください!ほら、さっさと!」
どん!
娘に突然背を押され、前のめりになる若者。ぺろりと舌を出す娘。
「お、おう!」
若者も、それなりにその気になった。
「おまえら、俺をなめるんじゃねえぞ。俺はなあ、俺はこうみえても昔はなあ」
少年のひとりが答える。
「なんだ? ピンポンでもやってたってか」
「なんでそれを知ってる!」
「ピンポンがどうしたっ!」
「それだけじゃないぞ。俺はこう見えても、空手もやってたんだ」
「へっへ。空手か!」
「まあな、通信教育だけどな」
「聞いてあきれるぜ!」
「ほっといてくれ。さあ、かかってこい!」
待ち構えていた少年の一人が若者に飛びかかったかと思うと、少年の拳が若者の腹を突いた。
空手はどうしたのか、若者は全然弱い。
「痛たっ」たまらず、若者は膝を折る。
別の少年たちが次々に若者に駆け寄り、殴る蹴るの暴行を加える。
「痛っ。痛い痛い。やめろ。やめてくれ」
少年たちが繰り返し若者に駆け寄り、殴る蹴るの暴行を加える。
「あなたたち! いいかげんにしなさい!」
娘の声が凛と響いた。
少年たちの中のリーダー格が笑う。
「おやおや。お姫様がおんみずから勇ましいこった」
娘はひるまない。腹から雷鳴のようなドスの効いた声を炸裂させて一喝した。
「オノレラ、イツマデ、グダグダグダグダ、ヌカスカ!イイ加減ニセント、頭カチワッテ鼻カラ割リ箸突ッ込ンデ、脳味噌ヲグズグズニ、シテクレルゾーッ!」
完全に目が据わっている。
血を求めて獲物を見る猛獣の目だ。
少年たちはすくんだ。娘の怒りにあたりは暗雲立ちこめ、稲光が閃き、風がうなりをあげている。
少年たちの着るものが強風にはためく。
たまらず逃げ出す。
やがてあたりはまた元の静寂を取り戻した。
気を取り直した若者は捨て台詞を吐いた。
「今日のところはこのくらいにしといてやらあ。二度とくるんじゃねえぞ!」
ため息をつく娘。
「怖かった!」
きらきらと瞳を潤ませながら、娘はぐっと美しい顎をあげ、若者に振り返ると感激して言った。
「ありがとうございました。私は乙姫といいます。あなたのお名前は…?」
「お、俺は太郎。浦島太郎だ」
真っ赤になる太郎。
「乙姫様。ご無事でなによりです」
「おかげで助かりました。お礼といってはなんですが…」
「はっ」
「私の城でおもてなしさせてくださいな」
「はいー?」
ふたたび盛大に鼻の下を伸ばす太郎。
「いいのかなー。こんなことってあっていいのかなー。いや、いいのだ。うん」
太郎は強引な乙姫に手を引かれ、大きな亀の背に載せられて拉致される。
竜宮城へ。
そして、何か月もつづいているこの宴。
宴の間は広々とした広間で大勢の踊り子たちや楽器を演奏する男たちが果てしない歓楽を提供している。
よく見ると踊り子たちの手足は四肢ではなく八肢だったり十肢だったりしている。皮膚に鱗が輝いているものもいる。
窓の外は漆黒の深海。発光する深海魚たちが群れながら舞い踊るように流れる壮観な眺めが広がっている。
「こら浦島ー!なにつまんなそうにしてんの?」
泥酔した乙姫がろれつのまわらない口調でからむ。
「そろそろ、また漁がしたいなーなんて思ってね。」
帰りたがる太郎に乙姫が後ろから抱きつく。
「だーめ!なーに言ってんのよー!あたしのこと嫌いになったのかー?おー?一生いっしょだとか言ったくせにさー」
「いてててて。ちがうけどさー。そろそろ体もなまっちまうしなー。飲んだくれてばっかも、そろそろ飽きた。」
「どーしてもか。どーしても帰るってかーっ。そんならこれ。」
差し出されるつややかな黒塗りの箱。
「なんだこれ」
「玉手箱よー。別に開けなくてもいいけど、帰ってから困ったことになったら開けてみるといいわ」
「いらない。かさばるから」
「まーまー。そういわずに。印だと思って」
「しょーがねーな」
「そーよ。しょーがないの、よん」
「じゃ、ま、世話んなったな。ありがとよ」
「じゃあ送らせるから。気をつけてね。ばいばーい。またねー」
大亀から吐き出される太郎。元の浜に到着した。
「おおー。ひさしぶりだー。帰ってきたぞー。と。あれ、なんか前と違うような」
浜の形や山の稜線は変わらないが、家の数や畑の様子が大きく異なっている。道ゆく人の姿も見かけないものだ。
自宅を探すが見当たらない。更地になっている。しかたなく近くの寺を訪ねる。知識人は村長か僧侶くらいしかいないからだ。
「あのー。ちょいとお尋ねしますが、ここいらへんに私の家がありませんでしたっけね?」
太郎は寺の住職に声をかけた。
「あんた誰だ」
「俺、浦島っていいます。ここに住んでたはずなんですけどね」
「浦島…聞かん名前だな」
「そんなはずはないんですけどね。この寺もちょっと見ないあいだにずいぶんぼろくなってしまいましたね。あ。これは…」
古色蒼然とした源さんの墓標。墓石は風化して角が丸くなり、黒ずんで苔むしている。
「これは、源さんの墓じゃないか。なんだってこんなに古ぼけてるんだ」
「ずいぶん昔の墓に目を留めたもんじゃな。それはかれこれ300年ほども昔の墓だ」
「え?」
「大昔の墓じゃよ。この元号を見ればわかるだろう。その人が亡くなって今年で300と10年になるかな」
「計算速っ!」
「なに、この早見表を見ればわかることだ」
「えええ? ちょっと待った。300年? 10年の間違いだろ」
「いやいや。300年と10年だ」
「そんなばかな」
「ばかなのはそっちじゃろう。なにを言っとる」
「うわーーーーーっ!」
混乱する太郎。駆け出す。寺から出る。浜へ。
はや夕暮れである。
「うそだろーーーーっ! 乙姫ーーーっ!」
海に向かって叫ぶ太郎。
答えるものはない。波の音が聞こえるだけである。ザプーン。
あたりには、太郎を知る者はなく、何人か怪訝な顔をして遠巻きに見るばかり。
心細さに放心する太郎。
ぼんやりと座り込み、手元の荷物に目をやる。玉手箱。
乙姫の声を思い出す。
「別に開けなくてもいいけど、帰ってから困ったことになったら開けてみるといいわ」
ためいきをつく太郎。
「なんだよこれ。困ったときにどうしたらいいかの説明書でも入ってるのか」
手を伸ばす。蓋に掛けられた紐を解く。
蓋を開ける。とたんに朦々たる煙。視界がなくなる。息が詰まる。咳き込む。喉が痛い。目にしみる。
「なんだ、これは」
声がかすれてしかたがない。目もしょぼしょぼする。膝が重い。背中がきしむ。まっすぐに立っているのも一苦労だ。
手を見ると無数の皺が寄っている。
悪い予感がする。
顔をさわってみる。頬がたるんでいる。白くなった髪がごっそり抜けた。
腰が抜けた。急速な老化。
太郎は気が遠くなりそうだった。
「ひ、ひ、ひっでーっ。こんな仕打ちってありかよ。おいーっ」
よろけながら泣き叫ぶ太郎はもはや完全に老人だった。
「だいじょうぶか、若いの」
と、さらに年配の老人が太郎に手を貸す。
「だいじょうぶじゃないよ。だいじょうぶなわけないよ」
「まあ泣くな。ほれ」
泣きじゃくる太郎に老人が肩を貸す。
「悪いね。あんた親切だね」
老人に肩を借りて歩きながら話す。
「あんたもあれだろ。さっき叫んでた乙姫。あの女に騙された口だな」
「あんたもって、あんたもなのか? あの乙姫に?」
「恥ずかしい話だが、わしらみたいな男は他にもおるんだよ」
「なんだって?」
「あの乙姫ってのはかなりなワルでな。ちょっといい男と見ると捕まえては竜宮城へ連れ込むのさ」
「まさか」
「竜宮城への行き帰りには大きな時間のズレが起きるらしくてな。ちょっと遊んでたと思ったらこっちでは何年も、あるいは何百年もたってるというわけだ。わしも、そんな乙姫に騙されるバカな男だったよ」
「あんたは?」
「わしのことは源さんとでも呼んでくれ」
「源さん? 源さんって源さん? 俺だよほら太郎だよ。浦島の太郎だよ!」
「なに? おお、あの太郎か。いやすっかり見違えたぞ」
「そりゃそうでしょうよ。おたがいさまでしょ」
「すまんな。ほれ、これがわしらの仲間だ。乙姫に連れ去られたあと戻ってみれば急速に年老いた乙姫の元亭主たちじゃよ」
そこにいるのは広大な邸いっぱいの老人たち。オレンジ色の灯火に皺だらけの笑顔が揺れている。
「わしらは珍しい土産も持っとるし、なにより不思議な体験を語れば聞きたがる者はいくらでもいる。全国から話をしにきてくれという引き合いが引きも切らぬからな。まあそれなりに楽しくやっとるよ。おまえも今日からこの邸の一員として仲良くやってくれ。竜宮講談のニューフェイスじゃからな」
「ひえー」
竜宮城では乙姫が飾り立てて磨いた自分の爪を眺めてつぶやいていた。
「あーあ。またちょっと誰か連れてこよっと」
次は、あなたかもしれない。