弟子入り制度に思う

 夫婦で入浴中の雑談の内容を漫才台本風に変換してみた。

◆「落語とか漫才とか、お笑いの世界っていまでも師匠とか弟子みたいな関係が残ってるやん。」
○「ふんふん」
◆「あれいったい、なんでやろ?」
○「なんでてそれが普通やろ。」
◆「そやけど、きっとなんかメリットがなかったらそんなもん続かへんやろ。いまはもう21世紀やで。なんかええことがあってのことに違いないわ。」
○「たとえば、顔がきくとか? 口聞いてもらえるとかか。」
◆「そやな。師匠がいてたら、師匠の友だちとか仲間、知り合いやらなんやら、お笑いの世界で活躍してる人やら業界の人に紹介してもらえるもんな。師匠の出てる舞台にかて出演できるように自分を売り込んでもらえるかもしれへん。」
○「なんかの都合で穴があいたときにも、代理出演のために声かけてもらえやすなるやろしな。」
◆「それやったら、できるだけおおぜいの師匠を持ってたほうがいいはずや。そやのに実際みたみたらどうや? 弟子には師匠がひとりだけしかいてへんみたいやないか。なんでやねん。」
○「さあ〜。」
◆「ひとりよりふたり、ふたりより三人や。N人の師匠がいたら口利きの効果かてN倍になるはずやのにな。」
○「師匠にしてみたら、なめとんのかて思うんちゃう?」
◆「ほなきみが師匠やったら自分以外にも師匠持ってるような弟子は破門か。」
○「破門や。当たり前やん。自分以外にも師匠を持ってるような弟子は、自分を軽くみてると感じる思うけどな。」
◆「ははあ。ふつうは弟子1人には1人の師匠と考える師匠にとっては、自分が1/Nの師匠としか見られていないと思えるわけやな。おまえ、わしは半人前の師匠どころか、1/N人前の師匠なんか!ってなもんやな。そら師匠には耐えられへん屈辱なんかもしれへんなあ。」
○「そやろ。」
◆「でもな、それやったら師匠のほうも、1/Nの弟子をN人集めたらええねん。おい、弟子! よし、おまえ、わしのほかにも師匠がいてんねてな。なに? ぜんぶでN人も師匠がおるんかい。それやったらええか、全部の師匠からひとりずつ弟子をつれてきてわしの弟子になるように言え。1/Nの弟子がN人集まったら、ちょうど一人分や。それでとんとんや。」
○「ちょっと待て、それってネズミ講ちゃうんか。」
◆「いやちゃうで。ネズミ講ちゃうて。ネズミ講やったらその逆やろ。1人の師匠がN人の弟子を持って、その弟子がまたそれぞれにN人の孫弟子をもつ、っていうふうにして無限に続くのがネズミ講やんか。お笑い界の人口には限りがあるから無限に続けることはできひん。そやからいずれは末端の弟子にはその弟子ができひんようになって破綻する。これがネズミ講やろ。」
○「師匠、わたいの弟子に弟子が足らんようになってしまいましてん。うちの弟子の弟子になってやってもらえまへんやろか、ちゅうてか?」
◆「そんな感じちゃうか?」
○「ほんでもな、もし複数の師匠がいたらやで、師匠らの意見に食い違いがでたときに困るやないか。そういうときは弟子としては誰の意見にあわせたらええのか、悩むやろ。」
◆「そういうときは自分の意見で決めたらええねん。」
○「自分の意見てか。師匠を立てんでもええのか。」
◆「そうでなかったら、師匠らの意見が割れてたら多数決で決めたらええねん。」
○「多数決て。そんなんでええのか。」
◆「それが民主主義ゆうもんや。」
○「そらそうと、最近では師匠を持たへん芸人も増えてきてるらしいな。芸人の養成学校ができてたりして。」
◆「へえ。予備校化が進んでるようやな。寺子屋の時代から進学塾の時代へちゅう傾向か。人気講師は衛星中継で全国の芸人のたまごに講義するんやな。予備校の先生みたいにマイク使て。エコー効かして。キンキラのスーツに顔よりでかい蝶ネクタイして。」
○「そこまでするか。」
◆「人気のある講師にはおひねりが飛ぶんやろ。リボン投げたり。ケミカルライト振ったりして。」
○「おいおい。」
◆「反対に、不人気の講師には座布団が飛ぶんやな。」
○「土を付けられた横綱かい。もうええわ。」
◆○「ありがとうございましたー。」