高音域のたとえ

 ジョエル・スポルスキーのエッセイに「ソフトウェアにおける高音域」というのがあります。エリック・シンクのエッセイに「ソフトウェアにおける高音域に対するコメント(リンク先は英語)」というのもあります。そこでは、ソフトウェア開発において優れたソフトウェアが最高のソフトウェア開発者なしには生まれないことが声楽のメタファーを使って描写されています。

 いえ別に、ソフトウェア開発になにかいいたいことがあるわけではありません。
 このたとえって、光電効果における光量子説のたとえにもそのまま使えそうだなあと思って。

 いわく:
  オペラの楽譜が高いBをテノールが出すことを求めていたら、バリトンを何人投入してもその声域は得られない。ただ声が大きくなるだけだ。
  同様に、才能のない者を集めてもピークに達することはできない。凡庸なプログラマを何人投入しても才能の広がりは大きくならず、とてつもなくすごい何かを作り出すことはできない。

 光電効果なら:
  オペラの楽譜が高いBをテノールが出すことを求めていたら、バリトンを何人投入してもその声域は得られない。ただ声が大きくなるだけだ。
  同様に、長い波長の光を集めても電子を叩き出すことはできない。低いエネルギーの光子を何個投入しても必要なエネルギーを電子に与えることはできず、そびえ立つエネルギー障壁を超えて電子を飛び出させることはできない。