渋谷?
しぐなすさんの短歌鑑賞練習帖2008-2009の「千年後の人にもわかるように現代短歌を説明してみた(2)(2009/03/11)」を読んで。
夕ぐれは109の後方にPARCO三基をしたがへて来る (松原未知子、『戀人(ラバー)のあばら』1997) 夕照はしづかに展くこの谷のPARCO三基を墓碑となすまで (仙波龍英、『わたしは可愛い三月兎』1985)
パルコ三基って、「三基」という地名があるのかと思ったら、ビル3つっていうことなのだった。そうか。
ビル三棟って言ってもらうほうがわかる。
「墓碑となすまで」の歌は、シルエットの絵だ。夕暮れのオレンジから赤みがかった紫までのまばゆいグラデーションが屹立するビルの影で垂直に分断されている。
「夕ぐれは」の歌は109親分が手下の3PARCOを従えて暮れなずむ渋谷の街を肩を怒らせて歩いてるみたいだ。
「墓碑となすまで」のほうがくっきりとしていて、きれいだと思う。「夕ぐれは」の歌は、「だからなに」という感じがする。
個人的には、「墓碑となすまで」のほうに一票。