妻サナギに

 朝、池袋のジュンク堂書店に行き、「プログラムスライシング技術と応用」*1を見て、買わずに昼に帰宅する。
 帰ってみると、妻はコタツのテーブルでタオルを敷いて声を上げずに泣いていた。
 今日、私が出かけていたとき、母から電話があったそうだ。

 先日心筋梗塞カテーテル手術をして入院している叔父について、母は叔母への愚痴を妻に対して長々とこぼしたのだそうだ。
 妻はともかくそれをはいはいと聞いていたそうだ。そして、電話を終えてみると、涙がこぼれてきたのだという。

 母からは、棘のある言葉でも出たのだろうか。妻は、そんな母の言葉を黙って聞いている自分が嫌になったり、自分もどこかで誰かに対して同じように言われているのではないかという思いも浮かび、ストレスからか涙をこぼしたのだったという。
 無口になり、ふさがる胸を抱えて、ときどき濡れた眼を拭く妻に、私は語る言葉もなかった。

 叔母だって、老衰で祖母は入院したままのところに、娘たちは皆結婚して別居しているいま、唯一心を開いて頼れる相手だった夫まで心筋梗塞で入院となれば、悲しみもさぞ大きいだろう。仮に悲嘆に暮れて何もできなくても不思議はないところだ。
 母はそんな叔父の家庭に通って何くれとなく世話をしてきた自負はあるのだろうが、叔母の内側には立てないのだろう。あるいは自身、疲れて心が荒んだのかもしれない。

 妻はすっかりおとなしい。まるでサナギになったようだ。
 早く羽化してほしいと思う。

 日ごろから、妻はそうはしゃぎ騒ぐタイプではないが、今日はいつにもましておとなしい。
 私はそんな妻に寄り添い、手や腕や肩に触れることくらいしかできない。
 今日は、布団を敷いて一緒に横になったり、CDをかけてみたり、妻の気分がいくらかでもやわらげばよいと思いつつ過ごした。

*1:

プログラムスライシング技術と応用

プログラムスライシング技術と応用