弟の誕生日にかけた電話にメールで返事が来ていた。
ライブドアの株を持っているということが書いてあり、妻は株を持っているということに反応していた。

さいきんは預金の金利が0に近いこともあって、株やその他の投資が一般化しているようだ。
株はギャンブルのように期待値がマイナスになる「やればやるほど負けが込む」というものではない。(ギャンブルは胴元が必ず儲かるようになっている。)

株には胴元はいない。(強いて言えば、売買にともなってかならず手数料を得る証券会社がそれに近いか。)
しかし、株も、誰かが売るときには買い手がいなければならず、逆に誰かが買うときには売り手がいなければならない。その意味では、誰かが勝てばその分、誰かが負けるといういわゆるゼロ和ゲームの一種なのだろう。

昔、恐慌があった。
恐慌はかつてのバブル経済のように、評価額が実質的な富(それがなんであれ)と乖離して高騰しているときに、なにかのきっかけでその評価が落ちるときに発生するように思う。

相場価格(市場評価)は実質的な富の総量とかならずしも一致しないからだ。

ではなぜ一致しないのか。

株式相場は売買の需要と供給によって決まる。売買は人間が思惑をもって行うものだ。そのため、もしみんなが幻想を抱いていれば、その幻想を反映した価格がつくだろう。こうして、幻想にもとづいた相場の高騰もしくは下落が起こる。

相場の評価は実質的な富と時間的に完全には一致しないまでも、正の相関を持っていると考えてよいかもしれない。(このずれは、単純な場合なら、バネによる弾性振動の力学モデルで説明することができるかもしれない。)

そうであれば、もし、実質的な富にふさわしい価格を示しているときに投資すれば、下がることはあってもいずれまた盛り返すだろう。(同じことだが、不相応に高い値がついているときに投資すれば必ず損をするだろうし、不相応に低い値がついているときに投資すれば必ず儲かるだろう。)

言いかえれば、実質的な富に相当する価格と同じかそれ以下で売買されているとき(または売買されている銘柄)に対して投資できれば、儲かるはずだ。
株に失敗するというのは、この判断が難しく、失敗しやすいからだと言っていいのではないか。

今の相場は実質的な富をどれほど素直に反映しているだろうか。
おそらく、実質的な富は人類の全体的な発展を表すことだろう。
そう考えれば、実質的な富は、全体としてはつねに上昇すると思える。
さきほどのバネのモデルでいえば、株式相場は「成長するバネ」と言ってもいいのではないか。
特定銘柄ではなく、まんべんなく全体を現すような投資を行い、数十年単位の長期的な売買をすれば、概して儲かると言えそうだ。(景気の波の波高を無視できるようにしようとするなら、あるいはもっと長期の売買が必要かもしれないが。)

実際問題として、超長期の投資ならともかく、ある程度の短期間に実を得るための投資(売買行為)をするのなら、観察力・注意力・機敏な反応性も必要だろう。
前もってある程度の知識はむろん必要だろうが、知識だけではすまないだろう。
運動と同じで、訓練が必要なはずだ。
そうなると、まったく失敗なく投資をすることは無理だろう。

それでも、習練を重ね、理論と体験からより目的にかなった行動を学び続けることを厭わないなら、たぶんだれでもまずまずの投資成績を上げられるものなのではないかと思う。
問題は、まず実際に手をつけることと、その継続的な努力をいかにして習慣づけるかなのだろうな。